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タブリンの窓

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タブリンの木製恐竜骨格模型 制作記録 & 戯れ言 http://taburin.jimdo.com/ taburinあっとkfx.biglobe.ne.jp

稲刈り終わり

 単身帰省。稲刈りから玄米までの過程を手伝う。

 弟も岡山市から帰省して、久々にもとの家族4人が水入らずで揃った。
 なんだかそれが嬉しかった。


 初日の日曜日は、前の田の残り部分。何しろ、疲れを知らない父が、ほとんど刈り取りをしていた。
 残りあとわずかというところで、台風雲の送り込んできたにわか雨。撤退。

 雨は1時間ばかりで上がり、午後の再開を期して、室内作業をする。
乾燥された籾を脱穀する作業。


 日本でも全国的な問題かと思うが、米作り農家は危機的な状態にある。
 昔からではあるが、きつい作業が多い米作りは、後継者が少ない。
 よって、高齢化が進む。
 高齢化するということは、体力が落ちるということ。
体力が落ちるのを補うのが、機械化。

 昔の手刈り、肩運びから比べれば、今は遊びといえるほど作業は効率化して体力的負担は軽減されている。
 私が小さい頃は、手刈りだった。鎌でひと株ずつザックザックと刈っていく。
 それを手に取り、稲わらで2~4株ほどまとめて結束する。
 束ねて運び、ハゼ(別名ハゼバ、保木)=稲掛けにかける。
親父が組んだハゼ(主に竹と木でできている)に登るのは楽しみだった。

 天日乾燥されたら、籾すり機に入れる。耕運機にベルトでつながれた籾摺り機。大きく力強い機械だった。親父が一つずつ持って機械に入れると、ダダダダっと稲から籾を分離する。
稲は袋に入れ、家に運ぶ。藁は田に残し、重ねて小さな家のような形に仕上げる。
この小さな「家」も好きだった。上がったら崩れるから、と言われても上がったものだ。

 家に運ばれた籾は、籾摺りをする。玄米と籾殻を分離する。これにも工夫された特有の機械があった。
中に入ると、ベルトでつながれた耕運機の力が、籾すり機に伝わる。すると、さらに細いベルトが、いくつもの回転部に力を伝え、回転部の大きさでスピードが調整されて、全体としてひとつの機能を発揮する。
これを考えた人は天才だと思った。
これでやっと玄米になる。

田植えも手植えだったのが機械になった。
すごいと思った。昆虫の手のような機械が、小さな苗をさっさと植えていく。驚いた。
発明した人を天才だと思った。
やがて、歩行式(耕運機のように手でコントロールして、歩きながらの田植え)は、乗車式になった。

稲刈りも、手刈りから稲刈り機が現れた。
耕運機のように歩きながら操作するのだが、これがバサバサと刈って、なんとそれを適当な束に束ねてくれる。
発明した人を天才だと思った。
やがて、1条2条刈から3条4条刈、さらに乗車式、そして一気にコンバインになった。
コンバインなどはノーベル賞ものだと思った。

機械化が促進されるにつれて、田んぼそのものの構造改善が進み、
昔風の田の並びは根こそぎ改変され、機械を入れやすい整然とした田の並びになった。
昔の水田風景は消えた。

しかし、機械があるとは言え、重労働に変わりは無い。
天気にも左右される。
今はこういった作業のほとんどがさらに機械化されてはいる。
高齢化は機械化を促進するし、機械の入る部分が増えれば、若年層もいやがらずに米作りに参入できそうだが、そういう状況はほとんど無い。
農業機械は高額なのだ。
年に数日しか使わないかさばる機械が数百万円する。
共同で使うことはまずできない。それぞれの農家がそれぞれの農作業のタイミングをもっているからだ。
だから個人購入。

うちの親父は、機械が古くなっても、修理して繰り返し使う。
しかし、部品が無いことが多いという。
メーカーは新しい機械を開発する。古い機種の部品まではなかなか残さない。
「古くなるから壊れる。だから部品がいる。それなのに、古いから部品が無いというのはおかしい!」
とボヤく。
だから、我が家では最新鋭の機械に満ちているわけではない。
古い機械が器用に組み合わされて、オヤジのアレンジで使われている。

 多機能の新鋭機械。購入すれば作業は少しらくになる。
 しかし、高額。
 それに見合った収入は、米作りからは得られないのだ。
 農家の米から得られる収入は、店頭に並ぶときの半額以下だ。
 年一回の収穫で、だ。
 我が家の規模で計算すれば、月収7万円以下に相当する。
 米は、消費者の手元に届くときには、倍以上の額になるのだ。
 日本では、昔から米価は大きな課題だった。
 
  今は様々な米作り農家の形態が存在する。
 しかし、これからの日本の米作りは楽観できない。
 日本はもちろん、
 我が家の米作りはどうなるのか、改めて家族揃った中で考えた。

 籾摺り機から出てくる玄米が、バケツの中にサーッと溜まっていく。
 2缶でひと袋になる。全身の力を使って、米を運ぶ。

 サーっと出てくるひと粒ひと粒が私たちの食べ物。
 父母が頑張って育てたひと粒ひと粒。
 だから、平気でご飯を残す人を見ると、大いなる失望感を味わう。
 米が高い!といいながら、なぜ残すのか!
 すべての食べ物がそうだが、そのひと口の背景には、人々の大きな努力がある。
もっと食を大事にして欲しい。
 そう思いながら、目の前でサーっと溜まっていくひと粒ひと粒の米を見る。
 父母のありがたさを思いながら目の前の溜まっていく米を見る。


 二日目の今日、昼前に一通りの作業が終わった。
 とは言え、もち米はまだ乾燥機の中だ。明日以降になる。
 申し訳ないと思いながら、帰る。
 帰り際に、新米を持たせてくれる。
 重い。
 ありがたい重さだ。
 
 バックミラーに映る父母は、小さくなった。
 

 
 
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by carnotaurin | 2012-09-17 20:32 | My Life