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タブリンの窓

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タブリンの木製恐竜骨格模型 制作記録 & 戯れ言 http://taburin.jimdo.com/ taburinあっとkfx.biglobe.ne.jp

箸と鉛筆

堅くて、読むのに疲れる話です。  

立ち居振る舞いといった作法・あるいは躾の中に位置づけられるのかどうかは知らないが、箸や鉛筆の持ち方にも「正しい」「間違い」があるように思う。

 「正しい」とは、すなわち、その文化的環境の中にある人間が、無駄なく合理的にその人間として身体操作をしている状態であり、それは身体運動として合理的なだけでなく、機能的な美を伴うものであると思う。

 昔の具体的な統計が手元に無いので、安易な比較はできないが、小学校段階における「正しい箸の持ち方」「正しい鉛筆の持ち方」がきわめて危うい状況にある。ここ数年気になっているが、8~9割は「正しくない」。

 米飯給食の普及度が低く、アメリカが戦後に行った日本人の栄養補給措置により、パンと牛乳が地位を確立し、箸の出番は少なくとも2/3に減少、変わってスプーンやフォークが普及した。日本人(中国人)の指先の器用さは、箸や筆に因るものが大きいと思っているが、その箸を操る機会が全国民的に30%も減少した。

 持ち方について、子どもたちに注意を促すと、「だってこっちの方が持ちやすいもん」と必ず言う。この「~しやすい=良いこと」、といった構図は、子どもの中でいとも簡単に蔓延する。「かみやすいハンバーグ=善、堅いスルメ=悪」となる。
「持ちやすい≠正しい」ということが、この段階の子には理解できないのだ。だからこそ、正しい形・型を極めて初期の段階で子どもたちに仕込むことは、極めて重要ではなかろうか。
 今、きちんと持つことが出来ていないかもしれない大人の一部は反論するであろう。「生まれてこの方、何も不自由したことはない。この持ち方で何ら問題は認められない」と。それはそうなのかも知れない。自覚症状的なものは無いのかも知れない。
 しかし、私は見る。鉛筆の持ち方が正しくない子は、必ず姿勢に無理がかかっている。鉛筆の持ち方が不自然なため、自分が書いている文字を背筋を立てた状態で直視することができず、右利きの場合には上半身を必ず左に傾けて倒し、自分の親指の下をのぞき込むようにしている。そのため、ノートは右手・腕の左回転圧力を受けて、右上がりに傾いていく。(スゴイ解説だな。絵に描けば早いんだが。そう、アメリカ映画の学園モノを想起してほしい。あの椅子と小さな机が合体した器具のために、こういう姿勢がほとんどだが、ちゃんとした欧米の学校では姿勢にも配慮が成された器具が使われている。でも、日本人の若者には、あのようなアメリカンな方がカッコイイのであろう。) 無理な姿勢では、長時間の正確な作業はもとより、長い目で見ると身体に必ずや歪みを与えているはずである。

 癖はなかなか直しにくい。そこで、発想転換。
 なんとか直したいと願うならば、「誤った持ち方を直す」という修正的な意識ではなく、「新たな持ち方を覚える」と思ってやった方がいいのではないか。「最新の持ち方をマスターするぞ」と思えばいい。「変だ、おかしい、みっともない」と言われて素直に直そうとする人もいれば、いじける人、開き直る人もいるだろう。しかし、「新しい持ち方をマスターする」と思えば、前向きではなかろうか。

 久々に夏らしい入道雲を見た。(北北西=京都市方向)
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by carnotaurin | 2006-07-15 08:57 | My Life