It's me!!
そう、It's me !! 3歳くらいだと思うけど、昔の自宅玄関での私。
季節は春先だろうか、手にはブリキの自動車を持ち、セーターには、現在なら人種差別用語として疎まれるキャラクター「○○んぼちゃん」がみられる。
左手には愛用の年代物三輪車。ちゃんとサスペンションも入った高級三輪車である。
当時、我が家はしがない農家で、家には牛が飼われていた。現在の私の5倍も働いているであろう働き者の親父が、自分も参加して家を建て直した。建って数年間は家の外壁も上塗り左官はできていなかった。
この3歳の頃だと思う。
姉が先天性の心臓の病で入院して手術を受けた。
岡山大学付属病院での手術は、信頼できる医師のおかげで成功したが、津山にもどってから入った病院での看護が不適切だったため感冒にかかり、岡山からの医師の到着も待たず息を引き取った。姉が小学校1年、私が3歳の頃である。
岡大病院の医師はそれは素晴らしい医師だったようで、姉もその先生の前でだけは胸部を見せたらしい。駆けつけた医師は、この病院を告訴することまで父母に話したが、もう死んだ以上、これ以上姉の胸を(司法解剖のため)切り開くことはしたくないとお断りした。
姉についての記憶はあまり多くない。
近くの小川で転んでお尻をぬらしたこと。
雷が鳴る夏の日、雷を怖がる私を、姉はかばって一緒に毛布にくるまり、奥の間の仏壇の前でご先祖様に祈ってくれたこと。
大学病院の病室で、ベッドに横たわった姉の鼻にビニールパイプが差し込まれていたこと。
葬式の日、おもちゃの飛行機を飛ばしていたこと。
棺に入った姉の唇に末期の水をつけたこと。
葬式が終わって初めての冬、仏壇に飾ってあった秋桜が庭の一角に捨てられ、雪をかぶっていたこと。
幼かった私には、何もわからなかった。
当時、隣の本家にいたおじいさんは、村長まで務めた御仁であったが、私の姉のことについて手記を残していらっしゃった。数年前、初めてそれを読んだ。おじいさんの温かいまなざしと、姉のこと、私の父母のことを改めて知った。
なんか、私のブログって、堅いというか暗いというか重たいというか…。
今回は明るくお笑いでいこうと思ったんだけど、結局こういう話になっちゃった。
それでもアクセスしてくださるあなた、すみません。有り難うございます。